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18.04.2011 [都市]








16年前、友人の建築家達と三人で、ベトナム、カンボジア、タイと旅行した。帰国前日の夕方、旅最後の食事に行く前に帰国のための支度を同室の友人としていた、何気なく部屋にはテレビがついていた。タイ語のテレビからの言葉にはまったく反応が起こらない、黙々とフィルムの整理をしていた、何気なくテレビの画面が目に入った、何やらどこかの火山が爆発している映像だった、しばしテレビを見ていると地震にゆれている千葉NHKの映像が、その後津波、さらなる火山の爆発、さまざまな映像が流れてくる。いったい日本は、東京はどうなっているのと二人で呆然とテレビを見ている、タイ語のアナウンサーはなにをしゃべっているのか皆目見当がつかない。そしてしばらくしてほっとした、タイのテレビ局が作った防災番組で、過去の日本で起こった災害をいろいろと流していたのだった。ほっとして最後の旅のビールを飲みにいった。そして帰国した翌朝、テレビから流れていた映像は防災番組ではなかった。「阪神淡路大震災」のライブ映像だった。

僕は報道写真家ではない、「阪神淡路大震災」が起こった時、いろいろと考えたが決して被災地へは行かないと決めた。僕がその地を記録することに必要性が見いだせなかった。今回の「東日本大震災」はどうか。またいろいろと考えた。やはり震災そのものを記録する必要性、必然性は見つけられない。ただ、なぜかあの地に行くべきではというささやきがいつも脳裏のどこかでささやいている。おそらく災害を見つめるのではなく、少しコトから離れたところで都市としての現状を記録してみたいというのが今僕の撮るべき視線かと思っている。

まずできることは足下から、いつも行っている都市歩き、昨日は平常どうりいつもの相棒と歩きました。。。。東北の様な大惨事は免れたものの、やはり地震の影響を受けた千葉県の東京湾沿いを2年ぶりで訪れた。






素晴らしい晴天のなか始まった








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何事もなかったように、都市は僕らに微笑んでくれた。





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災害を忘れ、あるいは忘れようとして、人々はいた。





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五井海岸。
2年前ここを訪れたときは雨が降っていた、車の後ろのドアを屋根にして撮影した、潮は満ちていた。
晴天の今日、干潮の海、潮干狩りをする人々も眼に入ってくる。
ただこの写真の横には火災にあって少しこげて稼働していない煙突が物寂しくそびえ立っていた。



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その後浦安へと行く。





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日常の日曜のようにも見えるし、実際そんな人々でいっぱいだった。
ただ、場所によっては液状化のあとがけっこう見られた。





なにがあっても、何が起ころうとも、

づっと、づっと、都市歩きは続けるよ、いつまでも視続けるよ。。。










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