01.05.2013 [都市]
ブログにも何度か書きましたが、僕は「即興楽団UDje( )」という楽団に入っています。
ウジャは東京、大阪と二カ所に拠点があります。そして大阪ウジャの事務所は西成区の釜ヶ崎にあります。釜ヶ崎にはあいりん労働公共職業安定所があり、多くの日雇い労働者方々がいてまたホームレスの方も多くいる、独特な街です。
ゴールデンウィーク前半大阪ウジャのワークショップがあったため大阪へ向かいました。
四月二十九日朝、ウジャのメンバーであり文化人類学者でもある、そして現在西成に住んでいらっしゃる、オカモト マサヒロさんにそんな街を案内してもらいました。
労働公共職業安定所の向かいにあるドヤに今回は宿泊しました。
ドヤの前に八時集合です。
ドヤから見た労働公共職業安定所

オカモトマサヒロさん@労働公共職業安定所
まずはセンターの中を案内してもらいました。
センターは早朝にオープンします。そして日雇いの方はここで仕事を斡旋してもらうそうです。そんな混雑が終わった後や休日はホームレスの方が使用しているそうです。休日なので一件しかやってなかった食堂、囲碁将棋ルーム、ホームレスの方々の個性豊かな様々なベットルーム?いろいろ案内してもらい、ここの人々の生活のなりあいや、システムなど多くの事を聞かせてもらいます。
そしてセンターをでて歩きます、外では青空市?タバコは韓国製の洋もくを¥300で売っています。DVDは¥200。飲み物の自動販売機は、一本¥120の普通のものから、¥100.¥80.¥50といろいろあります。そんな街のことをいろいろききながら通称三角公園に向かいます。ここでは週に何回か炊き出しがあり、また正月には越冬祭り、八月には夏祭りがあり、僕もウジャとして去年の夏はここで演奏をしたところです、多くの労働者の方がたむろしていました。どうどうと公園で焚き火もしています。日本ではとても変わった場所であります。ただこれまで「アジアでぱしゃり」でご存知のように、いろいろな街でいろいろな風景に出会っているのでそれほど違和感なくそこにたたずめます。さてここまで長々と書きましたが、なんと写真の少ない事か、僕のブログはいつもこんなんではないはず、「おい、パシャリはどうした」とおっしゃる方も多いかと、、、じつはこの辺は写真撮影御法度らしいのです。センターの中でオカモトさんを撮影したのもこそこそっとさっさっと、撮りました。明らかにオカモトさんを撮っているので大丈夫でしたが誰かに向けてカメラを構えたりシャッターを切ったらは゛罵声が飛んできます、もっとすごい事にもなりかねません、一昨年の暮れ僕も知らないで街を撮っていたらちょっと危ない事になりました。なので今回は撮影はせず、ゆっくりと街を感じつついろいろな話を聞きました。ただ一人で街歩きしているのとは違い、歴史的な事、裏事情、いろいろな事を聞きながらの街歩きはとても興味深いものです。。。
カマをいろいろと歩きだんだんと飛田新地の方へと足は向かいます。
植木に囲まれた住宅地。
大阪はアーケード商店街がものすごく多い。そして長い。
タイルを使った家をよくみかける、、、
今賃貸しのアパートとして使っているタイルの外装の建物は、その昔青線だったところが多いとはオカモトさんのはなし。
左側は台地。そして集合住宅、右が元赤線、飛田新地。さらにいくと釜ヶ崎。
もちろん赤線は今はない。
でも風俗店はものすごい数、午前中からやってる店も、、、
もちろん写真はNG。
ちょっとおしゃれな格子。
この店良さそうだねと、二人で入る事もなく、
最後は釜ヶ崎の喫茶店でまだやっていたモーニングセットを頼みながら、四方山話。
今見えている都市をカメラを使って捕らえるいつもの街歩きとは違って、カメラはむしろびくびくとこっそりとしか使えないが、いろいろな街の事を聞きながら体感する街歩き。これもまたとても楽しかった。じつは前日、「うじゃまちあるき」と称した西成のツアーがあり参加したかったのだがスケジュールの都合で参加できなかった僕のために今回おつきあいいただいた次第です。どなたでも何人かでお願いすればツアーを組んでくれるそうです。ご興味のある方はぜひお願いしてみては!!外国人の方ももちろんOKとの事。(何語までいけるのかな????)Facebook経由で連絡してみてください。。。。
以下オカモトさんの連絡先(Facebook)です
http://www.facebook.com/masahiro.okamoto.79
今度は朝からよるまでじっくりと歩いてみたい。
オカモトさん、、、よろしくね。。。
・
22.01.2013 [都市]
正月気分もまだ抜けない1月6日。
今年初めての都市歩きをおこなう。。。
もちろんいつもの相棒、金子君と行く。
佃島で彼をピックアップし、今日はどこに行こうかと話しながらとりあえず車を走らせる。が、あっさりと、たいして進まないうちに撮影が始まってしまった。
リバーサイドから始まった。
そしてすぐそこにそびえていた、聖路加病院のビルに登ってみる事にした。
街歩きでは、地べたを歩き回り、グランドレベルで街を見ることも、少し高い建物に登り街を見渡すこともある。が高いといっても十数階までが多い。いつもになく高いところからの視線がとても新鮮な二人。早速撮影を始める。
個と群、でいうと、高くなればなるほど街を群としてみつめている気がする。
したの世界では、さまざまな景色が、さまざまな生活が、いろいろ繰り広げられているのだろうが、
いっときそれを忘れ、都市というおおきな固まりに見入ってしまう。
そしてまた地べたに戻り、ひたすら歩く。
どうもこの日は結局リバーサイドをあるくことになる。
今年もまた多くの魅力的な表情を見せてくれそうだ。。。。
そんな東京に感謝しつつ、早めに切り上げ、新年の初宴にいこうかなどと、
けっきょく、正月気分は抜けていない二人だった。。。。
・
19.03.2013 [都市]
昨日に引きつづき、「京都・岡崎 百人百景」下の段でございます。。。
朝ホテルのテラスでコーヒーを飲んでいた時は晴れていたのだが、
集合時間が続くにつれ雲が出始めて来たのは昨日お話しした通り、
そしていざ出発して数分経った時から雨は静かに降り始めた。
そして写ルンですの撮影は始まる。
街の魅力は十分に把握していたので迷わず歩く。
街を流れる白川沿いを歩くことに決めた。
まずは鬼門より攻める。
艮に位置する高岸橋を最初の撮影場所とした。
あとは坤にあたる三条通り白川橋を最終目標として、
ひたすら水の流れとともに歩くことに決める。
食事もとらず、街歩きと撮影をひたすら楽しむ。
が、一つの不安がずっとよぎりながら歩いていた。昔からの習慣でシャッターを押した後フィルムはすぐに巻くという癖がある。大切な一枚がポケットの中で押されてしまった。27枚撮りのカメラとはいっても2枚ぐらいは多く撮れるものと思い込んでいた。なので一枚が写っていないとしてもしかしたらあと一枚残っているかもしれない、その時は、最後は大鳥居をぱしゃり、という計画で撮影は続いた。
いよいよ最後のカット、
もしもう一枚残っていれば大鳥居、、、、
もうじき麦酒が飲める、、、、、
ということで川の最後、坤にあたる三条通り白川橋にたどりつく。
そして靴と靴下を脱ぎ、浅瀬の川の中にばしゃりばしゃり、、、、
水面近く低く構える。
いよいよ最後のカットをぱしゃりの時、
まずはフィルムを巻く、、、するするする、、、、、
フィルムはすでに終わっていた。。。。
最後のカットを撮らずに旅は終わった、、、、、、、
ふふふふ
写ルンですはなくとも、一眼レフは持っている、
だって僕ちゃんプロだもん、、、、、、
ということで幻のワンカットをずるしてぱしゃり、、、、、
かくして旅は終わり、集合場所でまず麦酒。
そして帰りの新幹線では日本酒をちびりちびり、
めでたしめでたし、だったとさ。。。。
ただし写ルンですで撮った写真、まだ実物は見ていない、、、
・
18.03.2012 [都市]
まちの未来を考えるためには、「まちリテラシー」が必要です。ということで、100人が27枚撮りのレンズ付きフィルム(“写ルンです”)を使って京都岡崎の風景を切り取る、そして街を感じる、そんなイベント。「京都・岡崎 百人百景」が総合地球環境学研究所主催のもと2012.03.04に行われた。
http://okazaki100.geo.jp/
写真家土田ヒロミさんとともに私も招待作家として参加させていただいた。それとともにもう一つオーダーが、ポスターやシンポジウム用に、写ルンですではなくいつものカメラで岡崎を撮ってくださいと。ということで三月初頭は京都の街で始まった。
岡崎でまず目につくもの
大鳥居である。
ちらりちらりといろいろなところからその姿を覗かせてくれる、、、、
その存在感はとても大きい。
さて今までいくつもの国で、いくつもの都市で、街で、村で
街歩きをしてきた僕であるがその極意を少しだけお話ししよう。
まず、自分の中で街の中心を作ること。
まだ何もわからない街の地図を白紙から頭の中に作って行かなければならない。
X軸とY軸の交差したゼロポイントとなる場所を決める。
岡崎ならばこの大鳥居が今回のゼロポイントと決めた。
そして歩き始める、
面白そうなことにはすぐに首を突っ込む、、、
ゼロからどっち方面にいまいるのか、
何となくのボリューム感でいいから感じながら歩く、
そして次に大切なのは自分を困らせる。
どこにいるのか、何となく把握しながら歩いている自分が困るように、
路地とかにはどんどん入って行くよう差し向ける、
路地の迷路に入ったらしめたもの、
しばらくは大通りにでるのをなるべくさけて歩く
高いところに行けるのならば登るべし、、、、
(ただしヤバそうな気配はなるべく早く察しるよう努めるべし)
そんないつもの街歩き作法に則って撮影会の前の二日間。岡崎を歩き、感じて、写真を撮り歩いた。
雨の中の撮影の一日目、
打って変わって晴天の土曜日の二日目、
そして3/4いよいよ大撮影会。
朝ホテルのテラスでコーヒーを飲んでいた時は晴れていた、
そして集合時間が続くにつれ雲が出始めて、
曇天の中のスタート、、、、、、、
さてどんなものを見て、どんなものを撮ったか、、、、、、、、
「京都・岡崎 百人百景」上の段、本日はここまで、、、、
次回、下の段、乞うご期待、、、、、、
・
04.02.2012 [都市]
立春の土曜日。南三陸町の志津川にいる。
初めて志津川に来たのは昨年の五月1日。翌日石巻に近いホテルのテレビで、南三陸のホテル観洋が、
喫茶店のみ仮営業を始めた、すこしづつでも動き出したいとの従業員の暑い思いで営業を始めだしたと報じられていた。翌月また志津川にいった。インターネットではホテルはまだ営業していないとのこと、野宿覚悟でいってみると、工事関係の方々が通常サービスではないということを了承の上で宿泊できるようになっていた。僕が泊まったのは窓のない独り部屋、おそらく添乗員さん用かなにかの部屋だったのだろう。それでも泊まれるだけありがたい。そして多くの部屋は避難所として、被災者の方々が利用していた。
今や通常の利用に戻ったのである。
もうロビーに勉強をしたり漫画を読んでいる子供たちはいない。
ひと風呂浴びた宿泊客は朝日を見ながら朝食を待っている。
漁港は少しづつだが施設が建ち始めている。
とは言っても多くの海沿いの地区はまったくかわっていない、
がれきがなくなった分寂しくも思われる。
がれきはある意味記憶のレコーダー。
雪でほんの少し化粧された、
節分の日の志津川。
・
2012.01.06 [都市]
13.08.2011 [都市]
長らくさぼってしまっておりました。。。。
久々の更新であります。
先週の土曜日。
第二回、ヒトヒトツチライブ
見知らぬ星に降り立った3人
「探しにゆく」
を突然ながら行いました。
今回は野外ライブ。
武蔵小金井駅より武蔵野公園くじら山までの街歩きの中なにかがおこると、、、、、
そんな簡単な打ち合わせを直前にしてあとは当日集合ということになった。
いつもながらヒトヒトツチのライブは緊張する。
当日早朝に外観の撮影が入っていた。
日の出とともにそうそうに仕事を終わらせ、
僕は一度ライブ前に小金井からくじら山までを歩いてみようかと思った。
ただ歩くのではつまらない。
1998---99に、アジアのいくつかの都市で「路上写真展」を開いた。
http://www.tosh-a.com/0000html/002.html
では21世紀版「路上写真展」を開催。ということで、今回は大型カメラではなく、チェキを使って、街の片隅に写真を貼付けようという試み。
駅をスタート
道すがらはって行く
すでにそこにある風景。
写真を見ずとも1/1の大きさでそこにある。
景色をフレームすることで見えてくる何か。
一枚の写真が加わることで変化する景色。
歩く、撮る、貼る、歩く、
くじら山到着。
急いで帰宅して、、、、
ライブ開始三十分前から駅前の歩道で僕はひたすらハピドラムを奏でだした。
そしていつしかライブはパフォーマンスは始まった。
日常と少し違った感じ方をすると見えてくるもの。
写真展は写真が消滅するまでやっています。。。。。
放置写真展です。。。。
これで終わりではないかもしれない。。。。
もしかしたら増え続けるのか、
違う街でも行うのか、、、、、、
あなたの街で、チェキの写真が貼ってあるのを見かけたら、、、、
もしかしたらば僕かもしれない、、、、、、、、、、、
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久々の更新であります。
先週の土曜日。
第二回、ヒトヒトツチライブ
見知らぬ星に降り立った3人
「探しにゆく」
を突然ながら行いました。
今回は野外ライブ。
武蔵小金井駅より武蔵野公園くじら山までの街歩きの中なにかがおこると、、、、、
そんな簡単な打ち合わせを直前にしてあとは当日集合ということになった。
いつもながらヒトヒトツチのライブは緊張する。
当日早朝に外観の撮影が入っていた。
日の出とともにそうそうに仕事を終わらせ、
僕は一度ライブ前に小金井からくじら山までを歩いてみようかと思った。
ただ歩くのではつまらない。
1998---99に、アジアのいくつかの都市で「路上写真展」を開いた。
http://www.tosh-a.com/0000html/002.html
では21世紀版「路上写真展」を開催。ということで、今回は大型カメラではなく、チェキを使って、街の片隅に写真を貼付けようという試み。
駅をスタート
道すがらはって行く
すでにそこにある風景。
写真を見ずとも1/1の大きさでそこにある。
景色をフレームすることで見えてくる何か。
一枚の写真が加わることで変化する景色。
歩く、撮る、貼る、歩く、
くじら山到着。
急いで帰宅して、、、、
ライブ開始三十分前から駅前の歩道で僕はひたすらハピドラムを奏でだした。
そしていつしかライブはパフォーマンスは始まった。
日常と少し違った感じ方をすると見えてくるもの。
写真展は写真が消滅するまでやっています。。。。。
放置写真展です。。。。
これで終わりではないかもしれない。。。。
もしかしたら増え続けるのか、
違う街でも行うのか、、、、、、
あなたの街で、チェキの写真が貼ってあるのを見かけたら、、、、
もしかしたらば僕かもしれない、、、、、、、、、、、
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18.04.2011 [都市]
16年前、友人の建築家達と三人で、ベトナム、カンボジア、タイと旅行した。帰国前日の夕方、旅最後の食事に行く前に帰国のための支度を同室の友人としていた、何気なく部屋にはテレビがついていた。タイ語のテレビからの言葉にはまったく反応が起こらない、黙々とフィルムの整理をしていた、何気なくテレビの画面が目に入った、何やらどこかの火山が爆発している映像だった、しばしテレビを見ていると地震にゆれている千葉NHKの映像が、その後津波、さらなる火山の爆発、さまざまな映像が流れてくる。いったい日本は、東京はどうなっているのと二人で呆然とテレビを見ている、タイ語のアナウンサーはなにをしゃべっているのか皆目見当がつかない。そしてしばらくしてほっとした、タイのテレビ局が作った防災番組で、過去の日本で起こった災害をいろいろと流していたのだった。ほっとして最後の旅のビールを飲みにいった。そして帰国した翌朝、テレビから流れていた映像は防災番組ではなかった。「阪神淡路大震災」のライブ映像だった。
僕は報道写真家ではない、「阪神淡路大震災」が起こった時、いろいろと考えたが決して被災地へは行かないと決めた。僕がその地を記録することに必要性が見いだせなかった。今回の「東日本大震災」はどうか。またいろいろと考えた。やはり震災そのものを記録する必要性、必然性は見つけられない。ただ、なぜかあの地に行くべきではというささやきがいつも脳裏のどこかでささやいている。おそらく災害を見つめるのではなく、少しコトから離れたところで都市としての現状を記録してみたいというのが今僕の撮るべき視線かと思っている。
まずできることは足下から、いつも行っている都市歩き、昨日は平常どうりいつもの相棒と歩きました。。。。東北の様な大惨事は免れたものの、やはり地震の影響を受けた千葉県の東京湾沿いを2年ぶりで訪れた。
素晴らしい晴天のなか始まった
何事もなかったように、都市は僕らに微笑んでくれた。
災害を忘れ、あるいは忘れようとして、人々はいた。
五井海岸。
2年前ここを訪れたときは雨が降っていた、車の後ろのドアを屋根にして撮影した、潮は満ちていた。
晴天の今日、干潮の海、潮干狩りをする人々も眼に入ってくる。
ただこの写真の横には火災にあって少しこげて稼働していない煙突が物寂しくそびえ立っていた。
その後浦安へと行く。
日常の日曜のようにも見えるし、実際そんな人々でいっぱいだった。
ただ、場所によっては液状化のあとがけっこう見られた。
なにがあっても、何が起ころうとも、
づっと、づっと、都市歩きは続けるよ、いつまでも視続けるよ。。。
・
21.02.2011 [都市]
やはり行きました。都市歩き@湾岸。
前回は豊洲。そして今回は相棒と一緒に有明から始めようというつもりだった。。。。
が、意に反して晴海にたどり着く。
竹山実さん設計の客船ターミナルをまず目指した。
中では何やらダーツの大会、デッキで対岸を撮っているとモデルを引き連れての大撮影会の一団がやってくる。最新鋭のこれ見よがしのデジタルカメラに望遠レンズをつけたちょっとオタクな日曜カメラマンの横でレトロなカメラでモノクロの撮影。でも僕もこの日は日曜カメラマン。日常カメラマンとはちょっと違う。
晴海埠頭公園はうってかわって静けさの中。
住人はレジャーに行ったのか、はたまたショッピングか、、、、
有明からはさらに遠ざかり豊海へ。
1年前の東京マラソンの日、この辺りで珍しくモデル撮影をしていた。
あまりにも珍しいことをしたので津波に遭遇してしまった。
その後芝浦、港南地区へ、
まだまだ歩いていないところがたくさんある。
次回はまた芝浦、港南地区をきわめてみようか、、、、、
今回はかなり良い景色のハンティングができた。
そしてまだ暗くなる前に相棒とすでに居酒屋にいた。
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