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11.05.2011 [写真]




黄金週間まっただ中。東北へ向かった。
千葉工業大学の石原研究室の皆さんが「Playground Supporters」なる支援活動を考え、まずその事前調査も含めて三陸を中心に視察するというので同行させていただいた。


5/1夜。千葉工業大学を出発。まだ日の出には少し早い時間に南三陸町、戸倉地区に着いた。






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正直、テレビで見ているのとその場に立ち尽くしてみたのではまったく違う感情が産まれる。




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日の出間近の風のつよい志津川町をしばらく歩く。




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そして北へとすすむ。








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全壊、半壊、浸水、場所により、地形によりさまざまな被害状況、それぞれに違った大変さを抱えているようだ。道を走っていると、その高さによって津波警戒地区と解除の看板がたくさん見受けられた。津波が来ることは予測していた土地だったのだ。幸いにもその高さにより津波から逃れた家もまだ水はきていないということだった。




気仙沼、陸前高田、釜石と北上。
石原研の皆さんは午後に志津川町の学校関係者の方と会わなくてはいけない、北上は釜石までとし志津川町へと戻る。志津川町へと戻ってきたところで僕だけ街に残り撮影開始。






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今回は三台のカメラを持って行った。

ひとつは、都市歩きに愛用している大型カメラ。
この状況の記録、そして今からどのようにこの地が変貌していくのか淡々と記録をしてみようと思った。



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二台目は一眼レフ、その時その時眼に止まったものを記録する為。



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そして三台めは。「チェキ」。
撮影中に出会った人々の写真を撮って、その方々に差し上げようと思い持参した。
しかし、被災地のみを歩いていた我々はそこに暮らしていた人々と出会うことはほとんどなかった。
まだとてもそんな状態ではなく、そこでは瓦礫を撤去する自衛隊の方々が黙々と作業をしてくれていた。まだまだこれから何度もこの地を訪れ続けるつもりだ。「チェキ」は必ず持って行く、早く出番がくるまでの街になることをひたすら望み、祈るばかりだ。





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二日目は石巻、女川へとまわる。


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女川で遭遇したビルには驚いた。基礎から折れて横転してしまっていた。




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想像した以上の事の重大さにあらためて驚いた。



なにができるか、なにをすべきか、




何度もその地に足を運ぶことは間違いない。

そのなかで、


すこしでも、

なにかがみえてくれば、
























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