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15.11.2011 [写真]

 




もう何年も前、まだカバン持ちの頃、夕刻の撮影が終わり宿泊のため京都に行った。そこはビジネスホテルではなく、京の町屋。我々以外に宿泊客はいない、詳しい状況は覚えていないのだが、同行したデザイン事務所の番頭さんが京都通で予約してくれた宿だった。宿にはおばちゃんが二人、普通に生活している感じ、荷物を置いて街に出て一杯呑む。ほろ酔い気分で宿に戻るとおばちゃん二人は居間でテレビを見ていた。落語をやっている、確か桂枝雀師匠だったと思う。僕は大の落語好き、枝雀さんも大好きだ、普通ならば一緒にテレビ鑑賞にのめり込み、一席じっくりと聞きたいところ、そうもできず、ただ京都という地で、上方の噺が夜中に流れている風情に感慨の気を持ちつつその場を立ち去った。遠巻きに感じた上方の風情。時はゆっくりと流れていた。
 これまた昔、当時バイクに夢中だった僕は中津川林道を越えて川上村までツーリング、そこから塩山まで、また林道越え、塩山にほど近くなってきたあたりに友人がセルフビルドで山小屋を作っているというので立ち寄る。そろそろ夕刻も近づいたとき山小屋作りにいそしむ友人たちのベースへ着く。トランジスタラジオからは小さな音でロットスチュワートの曲が流れていた。聞き入るでもなく流れるその音は山の中に響きやがて訪れるオレンジ色の空を出迎えていた。






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 音楽でも、落語でも、本当に聞きたい時、まさにこれというものにどっぷりと浸かっていると周りのものは見えなくなり、深くその世界へとのめり込む。でもそれらの音なり、思いなりと、適当な距離を持って接した時、また違う感覚が訪れてくる。運転中にわずかに認識し通り過ぎたた景色、通りすがりに目にした絵画、遠くでわずかに聞こえてくる祭り囃子、適当に距離を置いた感覚。これはこれでまた心地よい。






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 街歩きをして都市を撮る。僕のとても好きとしている撮影行為、「都市歩き」。都市を見つめているときある意味少し距離を置いて眺めている。が、撮影という意味ではその中にどっぷりと浸かっている。そして、僕が撮ったいじょうその距離を遠くに持って行くことは難しい。そんな写真を何枚も並べて行う写真展。その会場に何日かいると、いつの間にか一枚一枚の写真に対する感情が薄れて行くことがある。空間にあるのはただ四角い景色が羅列しているだけ、一枚が放つ感情は感じず空間があるのみ。光沢のある写真に反射して時折見えてくる外の景色、思いもよらない光景をちらりと感じながら過ごす時間。自分の撮った写真と最も距離が離れている、そんな時がある。






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 あるモノやコトから少し距離を置いた時の心地よさもまたよいものだ。さてさて、僕は
いつ、自分というところから距離を離して自分を感じられるようになるのだろうか、まだまだ修行は続く。。。









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